大阪高等裁判所 昭和46年(ネ)451号 判決 1972年10月01日
控訴人
東京海上火災保険株式会社
右代表者
山本源左衛門
右訴訟代理人
松崎正躬
外二名
被控訴人
宗藤泰而
右訴訟代理人
小林勤武
外五名
主文
本件控訴を棄却する。
訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一控訴人が、肩書地に本店を、大阪市・神戸市など全国に一二の支店、一二七の営業所(現在は支社という名称になつている。)を置き、従業員三千数百名を擁し、海上、運送、火災、自動車等各種損害保険事業を営む株式会社であること、被控訴人が、昭和三〇年四月一日控訴人会社に入社し、本店財務部に配属されたのち、昭和四〇年一〇月神戸支店に転勤し、以後同支店に勤務していた従業員であること、控訴人が、昭和四四年七月一日被控訴人に対し、福岡支店管下佐賀営業所への転勤を命じたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。
二そこで、まず本件転勤命令が不利益処分に該当するか否かについて判断する。
ところで、不利益処分の不利益性の態様には、経済上の不利益、精神上の不利益、生活上の不利益、組合活動上の不利益などがあり、かつこれらの不利益は、一つの処分の中に複合して内在するのが通常である。また、その不利益性の判断は、個々の事象をその現象面だけとらえて一義的にすべきものではなく例えば、転勤についてみても、大都市の本店から地方の営業所への転勤は不利益であるとか、労働組合員の多数がいる事業所からその少数しかいない事業所への転勤が不利益であるとかは一概にはいえない。前者についていえば、将来の栄進を約束された地位としての営業所勤務は不利益とはいえない場合もあるし、後者についていえば、一般の組合員の場合にはそれだけで必ずしも不利益とはいえない反面、当該転勤を命じられた者の前任地での組合活動上の地位いかんによつては、たとえ職務上若干の有利な処遇を受ける場合であつても、不利益と評価される場合もあり得るのである。要は、当該従業員の過去の経歴、他の同種従業員との比較、従来の先例や慣行との比較その他諸般の事情の総合評価の上に立つて判断すべき事柄である。
このような観点に立つて、本件転勤命令の不利益性の有無を判断するためには、転勤命令の出された時点での被控訴人の東海支部における立場や控訴人会社内での格付けだけでなく、そこに至るいきさつもまた、重要な要素として吟味されなければならない。
(一) 被控訴人が、入社以来、全国の損害保険事業に従事する労働者で組織する産業別単一組織である全損保に加入して、その東京海上支部に所属していたこと、被控訴人が、昭和三一年同支部東京分会青年部副書記長に選任されて以来、同支部の役員を勤め、昭和三七年九月には組合専従者となつて、同支部副書記長、東京分会書記長、同委員長などを歴任したこと、そして、昭和四〇年一〇月専従者の地位を下り職場に復帰するとともに、神戸支店に配属されたこと、昭和四一年一二月の東海支部大会において全損保からの脱退が決議されたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。
<証拠略>を総合すると、次の事実を一応認めることができる。
昭和三八年一一月ころから、東海支部組合員の中の壮年層の間から、全損保及び東海支部の執行部の組合活動のすすめ方や姿勢を批判する動きが起り、やがて、昭和四〇年三月には、それらの批判勢力を中心として労働問題研究会(以下労研という。)という会が結成された。労研のリーダーらの主張は、全損保の指導者は極左思想の持主で、共産党の影響のもとにあり、東海支部の執行部や分会役員も多くは共産党員またはその同調者である。これらの者の考え方は、会社を敵とし、会社と「闘争」することにのみ意義を求めるもので、決して会社と真の「話合い」をしようとしない、これでは、多数組合員の利益を忠実に代表することはできないから、われわれの組合を共産党の手からわれわれ自身の手に取り戻さなければならない、というものであつた。これに対し、東海支部執行部は、闘う姿勢にこそ真の労働組合の姿があるとの立場から、労研派の隠健思想とその分派的行動を非難攻撃し、殊に論客である被控訴人は、執行部の前面に立つて、労研のリーダーらとの間で延々と激論を闘わせた。しかし、労研は次第に一般組合員の支持を得、大阪・東京の各分会における役員改選でいずれも現職執行部の者が落ち、労研派の者が選出される事態となつた。そのため、昭和四〇年秋の支部大会において、被控訴人を含む当時の東海支部執行部は、当選の見込なしとして役員選挙に立候補することを断念し、東海支部執行部は、同大会で選出された労研派の者で占められることとなつた。こうして、被控訴人は、専従を下りて職場に復帰し、同時に神戸支店へ配転を命じられた。
昭和四一年秋、東海支部執行部は、安田・住友・同和の各支部と歩調を合わせて、全損保の路線変更を求める四支部共同提案を全損保大会に提出し、これが容れられなかつたので、組合員に対し、全損保脱退の提案をした。被控訴人は、これに強く反対して、脱退の非を神戸分会の組合員に説き、考えを同じくする他の二名とともに支部大会代議員に立候補したが、いずれも落選した。同年一二月九日及び一〇日に開かれた臨時支部大会で、脱退案が可決されて、東海支部は全損保から脱退し、東京海上火災保険労働組合と名称を変更し、その旨登記した。
脱退に反対した少数の者は、右大会が終るや直ちに、全損保規約上支部としての脱退は無効であつて、東海支部は依然存続している、東海労組を名乗つている執行部は、支部執行部の任務を放棄したものであると主張して、同志を糾合して支部及び分会の再建にとりかかり、被控訴人は、神戸分会の再建委員に指命された。そこで、被控訴人は、神戸支店在勤従業員約一九〇名の中から一八名の同志を集めて、これを神戸分会として組織し、その分会委員長に選ばれた。
結局、全国の控訴人従業員約三、五〇〇名中一八一名の者が脱退を認めない態度を表明し、中央では、これをもつて東海支部であるとして(当初は、三千余名の全員が東海支部員であると主張していたが)、旧東海支部の正統な承継者は東海労組であるとする東海労組の主張を支持する控訴人との間で接衝を重ね、遂に昭和四二年三月控訴人から、東海支部と団体交渉をする約束を取り付けた。こうして、控訴人会社の中の労働組合は完全に分裂し、二つの組合の存在する状態となつた。
被控訴人は、中央での東海支部の控訴人との交渉に先がけて、神戸分会として神戸支店と交渉を開始し、地方労使協議会の開催を求める等活発な活動をはじめた。翌年、被控訴人は、分会委員長の地位を若い青木敏に譲つて副委員長に退いたが、神戸分会では、被控訴人以外に脱退前の東海支部執行委員の経歴を有する者はなく、被控訴人が最も組合運動歴も豊富であつたので、実質上の分会指導者は依然として被控訴人であり、その間神戸分会は、東京、大阪に次ぐ人員を擁する分会として、積極的な組合活動を展開し、こういう状態の中で本件転勤命令が出された。
(二) <証拠略>によると、佐賀営業所には、東海支部に所属する組合員は被控訴人のほかには居らず、福岡支店管内全体でも同組合員は被控訴人を含めて三名しか居ないため、被控訴人が佐賀において東海支部組合員として強力な組合活動を行なうことは、事実上ほとんど不可能か、著るしく困難な実情にあることが一応認められる。なるほど控訴人の主張するように、全損保は産業別単一組織であり、<証拠略>によれば、佐賀市内に全損保に所属する他会社の従業員たる組合員が約三〇名いて、全損保佐賀地区協議会を構成していることが一応認められ、<証拠略>によると、全損保福岡地方協議会もいろいろと活発な組合活動をしていることが一応認められる。したがつて、被控訴人が、これらの組織を通じて、全損保組合員として組合活動をする機会は十分与えられているということはできる。しかしながら、右のような横の組織である地区または地方協議会において、他会社に勤務する組合員に伍してする組合活動の内容は、先に認定の被控訴人が東海支部神戸分会のリーダーとしてやつてきた組合活動の地位と内容には較ぶべくもない。
本件転勤命令は、被控訴人に対して、組合活動上の大きな不利益を強いるものといわざるをえない。
控訴人は、被控訴人の組合組織上の地位あるいは活動を評価するには、昭和四二年三月上旬以降の新しい東海支部中の神戸分会に関する部分のみを取り上げるべきで、旧東海支部は無関係であると主張する。しかし、本件においては、東海労組が全損保脱退前の東海支部の後身であるか否か、現在の東海支部を脱退前の東海支部とは脈絡のない新組織とみるかといつた法律上の判断は、必要ではない。脱退前の東海支部が深刻な内部抗争の後に二つの組合に分裂し、互いに本家争いをしている事実、及び遅くとも昭和四二年三月以降控訴人が、控訴人会社内の労働組合として、東海労組のほかに現在の東海支部の存在を認めた事実のみが必要である。そして、この事実にかんがみれば、脱退前の東海支部及び脱退前後のいきさつを抜きにしては、本件転勤命令当蒔の被控訴人の神戸分会における地位と役割を正当に把握し評価することはできないというべきである。
(三) 被控訴人が、東京大学経済学部を卒業したものであること、本件転勤命令当時年令三六才、入社歴一五年めのものであること、当時の被控訴人の賃金格付けが三等級Aであつたこと、昭和三七年まで控訴人と東海支部との間で結ばれていた労働協約及びその失効(この点は後述)後の暫定協定において、「組合専従者の復職及び給与については、組合業務に従事していたことを理由として不利益な取り扱いをしない。」旨定められていたこと、被控訴人と同期入社の大学卒業者が一八名在籍していること、以上の事実は、当事者間に争いがない。
<証拠略>によると、次の事実を一応認めることができる。
被控訴人は、賃金体系上の格付けにおいて、入社満一年で全員が格付けされる一類Bプラスになつて以来、現在に至るまで一度も昇格していない(昭和四三年職能等級制の採用により、新制度の三等級Aにスライド格付けされ、現在も三等級Aである。)。昭和三七年被控訴人が組合専従に出るとき、大学卒の入社同期生一八名中一類Aに格付けされていた一名を除き、他は全部被控訴人と同じ一類Bプラスであつたが、被控訴人が組合に専従している三年の間に順次昇格し、被控訴人が復帰するときには、他の同期生一八名は全員一類Aに格付けされていた。しかるに、前記の組合専従者の復帰時の処遇に関する暫定協定にもかかわらず、被控訴人は、復帰の際元のままの一類Bプラスに格付けされた。従来の専従者は、復帰時において少なくとも同期生の何人かが居るところに格付けされており、被控訴人のように、同期生の全員より更に一段下に格付けされた例はなかつた。被控訴人の会社業務遂行上の能力や人物評価は、少なくとも普通程度であつて、特に劣る点はない。
昭和四四年七月一日付で行なわれた異動は、かなり大規模なものであつたが、その基本方針として、控訴人は、(1)若手課所長の起用、(2)高年令課所長対策、(3)若手社員の計画移動、(4)人員配置という基準を設定し、これにもとづいて異動計画をたてた。右のうち(3)の基準は、成長期にある若手社員に対し、複数の職務経験を通じて本人の適性を見つけ、能力を伸長させる機会を与えるという目的のもとに、ノンマリン関係で母店または営業所で同一課所三ケ年以上在籍した者を対象に、該当者を大幅に異動させようというものであつた。なお、控訴人の営業方針として、昭和三八年ころから、営業所強化が強く要請され、また昭和四三年ころから、それまで非役付社員の異動は部店長権限として本店人事部が関与しなかつたので人事の不均衡が目立つてきたため、これを是正する目的で全社的視野に立つた他部店間異動を推進することが求められていた。昭和四四年の異動に関する前記基本方針も、右の要請を踏まえたうえで立てられたものであつた。
ところで、本件転勤命令後の昭和四四年一〇月一日現在において、大学卒で営業所にいわゆる平社員として勤務している者合計一二五名中、入社歴一〇年以上の者は、被控訴人が入社歴一五年めで最も入社歴の長い者であり、次いで入社歴一二年めの者が一名、同一一年めの者が二名、同一〇年めの者が一名に過ぎない。また、大学卒で入社歴一〇年を超えてから営業所へ平社員として転勤を命じられた者は、昭和四三年に入社歴一二年の者が一名、昭和四二年に入社歴一〇年の者が一名あるが、前者は転勤の一ケ月後、後者は一年後に、いずれも当時の二類(現在の五等級)に昇格して所長代理になつた。右のほかには、昭和四二年以降現在まで、被控訴人を除いては、入社歴一〇年を超える大学卒で平社員として営業所への転勤を命じられた者はいない。
このような状況であるため、本件転勤命令を受けて、被控訴人は、「とばされた。」と感じ、東海支部組合員の多くは、「とうとうここまできたか。」(すなわち、被控訴人の組合活動の故に会社からにらまれ、このような処遇を受けた。)という受け止め方をした。
なお、昭和四七年五月現在において、被控訴人の同級生一八名中一名が課長代理であるほかは全部課長または課長待遇(五等級以上)の部署についているが、被控訴人はいまだに三等級の平社員である。
以上の事実を一応認めることができる。この認定を左右するに足りる疎明資料はない。
(四) 専従から職場に復帰する時の処遇に関する前記暫定協定の趣旨について、控訴人は、当該社員がもし専従者とならないで引続き会社業務に従事していたとすれば現在どうなつているであろうかということを、同人の専従就任時の状況から類推して復掃させる趣旨であると主張するが、そうであるならば、勤務成績において少なくとも普通である被控訴人について、他の同期生が全員一類Aに格付けされているのだから、同じ一類Aに格付けするというのが、前記のような条項をわざわざ労働協約や暫定協定に盛り込んだ趣旨を推測しても、妥当な協定の解釈適用であると考えられる。前記認定の他の復帰者の先例に照らしても、被控訴人は、復帰時にすでに不利益な処遇を受けたといわざるをえない。
次に、本件転勤命令について、控訴人は、被控訴人が神戸在勤三年九ケ月になつており、かつ営業マンとしての経験はこれのみしかなく、営業所勤務の経験がなかつたので、前記昭和四四年度異動の基本方針(3)に該当する者として、本件転勤の対象になつたものであると主張し、<証拠略>も右にそう証言をし、右基本方針(3)に「若手社員」と記載したのは、非役付社員には若手社員が多いので、わかりやすい表現としてそのように記載したが、正確には「非役付社員」と記載すべきものであつたというが、右基本方針を記載した文書である甲第八八号証の全文言及び添付別表に照らせば、控訴人の右主張及び証人松多昭三の右証言は、牽強附会の論たるを免れず、被控訴人に対する本件転勤命令は右基本方針の枠外のものと見るのが、右甲第八八号証の素直な解釈である。前記認定の諸事実によれば、本件転勤命令は、まさしく異例の人事であり、被控訴人に精神上の不利益を与える処遇であると解するのが相当である。
控訴人は、被控訴人がいわゆる平社員として営業所勤務を命じられたのは、三等級Aという格付けからの当然の帰結であると主張する。なるほど、<証拠略>により一応認められる控訴人の職能等級制からは、そのとおりである。しかし、本件転勤命令当時被控訴人が三等級Aであつたのは、専従から復帰する際の前記不利益処遇の延長であり、このことの故に本件転勤命令の不利益性を左右するものではない。
(五) よつて、本件転勤命令は、精神上及び組合活動上の不利益処分であるというべきである。
三次に、控訴人の不当労働行為意思の有無について判断する。
一般に、使用者の不当労働行為意思は、使用者の内心の意思であつて、しかも、その意思にもとづく不利益処遇は、必ず外形上は右意思を隠蔽するための正当事由を付して行なわれるから、不当労働行為意思の存在は、処分時点の諸事実のみでなく、当該労働組合の活動史、使用者との間の諸関係、使用者やその職制の反組合的言動、被処分者の組合活動歴等もろもろの間接事実を総合して推定しなければならない。
<証拠略>によると、次の事実を一応認めることができる。
控訴人は、昭和三五年全損保東海支部に対し、労働協約の改訂を申し入れた。その改訂の内容は、(1)課長以下の役付きが組合員であつたのを、課所長を非組合員とする。(2)経営協議会に出席する場合、その他会社と協議または交渉する場合は、時間内でも賃金控除をしないことになつていたのを、原則としで一切賃金を支給しないこととする。(3)組合活動のため会社の諸施設を利用するについては、組合から申出があればこれを認めることとなつていたのを、事前に届出て会社の承認を得なければならないこととする。(4)組合は、会社の人事について必要と認めた場合異議の申立をすることができるとされていたのを、全部削除する。以上のような、組合にとつて非常に不利な改訂案であつたため組合としてはこれに応ずることができず、交渉は平行線を保つたまま推移して、遂に昭和三七年八月末日をもつて労働協約は失効して無協約となり、その後やむなく組合も暫定協定の締結に応じたものの、労働協約は現在まで締結されていない。右労働協約が失効するや、昭和三七年九月五日から同月二〇日ころまでの間に、課所長約二五〇名が一斉に東海支部から脱退した。こうした情勢の中で、さきに認定したように、係長らを中心とする壮年層から執行部批判の動きが起り、この層から昭和三八年から一年間、松多昭三(本件転勤命令当時控訴人の人事課長で、本件転勤命令の立案者)ほか三名が東海支部執行委員に選出されて、殊に松多は終始被控訴人と激論をたたかわせた。そして、さきに認定の労研の結成に至つたのであるが、これら批判勢力の考え方は、いわゆる産業民主々義を説き、労使協調路線をとるものであつた。東海支部が全損保を脱退して東海労組を名乗つた直後、右脱退を無効とし、東海支部の存続を主張する現東海支部組合員らに対し、控訴人は当初その労働組合としての存在を認めず、昭和四二年三月東海支部を団体交渉の相手とすべき労働組合と認めてからも控訴人は、東海労組との団体交渉には社長、専務以下重役陣が出席するが、東海支部とそれには人事部長以下しか出席しないとか、団体交渉の時間も、東海労組とは執務時間外に行うが、東海支部とは時間内の交渉しか認めないため、団体交渉の時間が制限されるとか、更には、東海労組に対しては、組合事務室を貸与し、専用掲示板も設け、会社施設利用権や時間内組合活動をも認めているが、東海支部に対してはこれらを一切認めていないなどの態度を示している。東海支部との間には暫定協定も結ばれておらず、また控訴人が東海支部に対し、その実態を明らかにし組織図を提出するよう求め、東海支部も提出を約束しながらいまだ提出していない等の事情もあり、更に右の個々の事実に対する控訴人側の弁明も首肯できないこともないが、しかしなお、全体としてみれば、やはりそこに東海労組を正当の労組と見、東海支部を異端者とみる控訴人の態度を看取せざるをえない。組合分裂直後、東海支部再建を主張して神戸分会で活動する被控訴人に対し、当時の神戸支店事務課長であつた石山豊和が「蛮勇を振つて崖からとびおりろ。」と、東海支部に所属して活動を続けることをやめるよう勧告し、更に昭和四二年同人が東京本店の経理部次長に転出するときも、「無所属になつてほしい。このままでは神戸支店にいられないだろう。」といつて忠告した。また昭和四二年一月末、当時の神戸支部総務課長佐藤信が、転勤直前に、わざわざ休暇をとつて、会社の執務時間に被控訴人ほか三名の東海支部神戸分会所属組合員の父兄を個別に訪問して、東海支部を脱退して東海労組に所属させるよう勧告した。
このような推移の中で、被控訴人は、東海支部のあり方こそ真の労働組合のあり方であるとの主張を崩さず、松沼一郎の配転に対する反対闘争を推進し、その裁判に証人と出廷して出廷した際控訴人側を痛烈に攻撃する証言をし、その他先に認定したような、神戸分会員の団結を強化するための強力な指導をして、活発な闘争活動を行なつた。
以上の事実を一応認めることができ、この認定を左右するに足りる疎明資料はない。これらの事実を総合評価し、かつさきに認定の本件転勤命令が不利益処遇であると評価すべき諸事実を考えると(次に述べるように、本件転勤命令に業務上の正当な理由があるものとは認めがたく、他に、前記の不利益をあえてしても本件転勤命令を出さなければならない合理的な理由は見出せない。)、本件転勤命令は、控訴人が、被控訴人の積極的な反会社的組合活動を嫌い、その神戸分会あるいは東海支部に対する影響力をそぐことを主たる動機として、正当事由に借口してなしたものと、十分に推認することができる。
控訴人は、全従業員約三、八〇〇名中僅か一五〇名くらいの東海支部を畏怖したり敬遠したりする必要はないと主張するが前掲各疎明資料によれば、少数組合であるが故にかえつて、控訴人としては、多数の東海労組員が執務中に少数の東海支部組合員がストライキをしたり、三角錐闘争をしたりするのを、職場の秩序を乱すものとして苦々しく思い、厄介者視しているものであることが一応認められる。
四控訴人は、本件転勤命令は業務上の正当事由にもとづくものであると主張する。
<証拠略>によると、昭和四三年の人事異動に先立ち、佐賀営業所から、取扱い事務の急増を理由に男女各一名の増員の要求が出ていたが、昭和四三年度では、女子一名の増員しかできなかつたので、昭和四四年度の異動で男子一名の増員要求を容れることになつたこと、男子一名の要求について、当時佐賀営業所では、所長が四六才、それに続く筆頭所員が三一才でその間の年令差が大きかつたので、その間隙を埋めて所長と右所員との間の円滑をはかりうる年令の、ある程度営業業務に習熟した者を派遣してほしいとの希望が付されていたこと、以上の事実を一応認めることができる。この認定に反する疎明資料はない。
ところで、控訴人は、右要求に適う者を人選するに当り、さきに認定の昭和四四年異動方針たる他部店間異動を推進するという趣旨にかんがみ、福岡支店を除外して、佐賀に最も近い広島及び高松支店について物色したが、適当な者が居なかつたので、次いで近い支店である神戸支店について検討し、被控訴人が前記同一課所三年以上勤務者という異動方針にも合致し、佐賀営業所からの要望をも満しうる適任者であつたので、本件転勤命令を出すことを決定したと主張し、証人松多昭三の証言(原審第一、二回及び当審)も、右主張にそうものである。しかしながら、当審における同証人の証言は、すべての異動について、右のように転勤先に近い支店から順次人選をすすめるという原則があるわけではないといいながら、被控訴人の場合にはなぜそのような人選方法をとつたかについて合理的な説明をすることができなかつたし、被控訴人を選んだ具体的な、最大の理由は何かという質問に対して「三年の人事異動方針にピッタリ当てはまつたからです。」とか(被接訴人が右異動方針にあてはまるものでないことは、先に検討したとおりである。)、「佐賀の条件に合う人がいないかと思つて、名簿を見ていて、それで宗藤君が見つかつたというほうがいいかもしれませんね。ちようどいた。」などと述べ、さきの控訴人主張にそう証言部分が崩れてしまつている。むしろ、先に認定の異動基本方針の一つである若手課所長の起用ということに照らせば、将来の若手課所長候補者で現に所長代理資格者たる五等級の者を本社などから派遣するということも考えられたはずである。してみると、同証言の控訴人主張にそう部分は信用できず、不利益処遇をしてまでも被控訴人を佐賀へ転勤させなければならなかつた業務上の正当事由は、とうてい認められない。
五以上により、本件転勤命令は、不当労働行為として無効であることが一応認められるので、最後に、仮処分の必要性について、判断する。
本件転勤命令が無効であるならば、被控訴人は、依然神戸支店に勤務する地位を有し、その結果先に認定のような東海支部神戸分会の実質上の指導者として、積極的に自己の正しいと信ずる組合活動ができる地位を享有するわけである。このような地位は、憲法の保障する基本的人権の一つである団結権の具体的態様ということができ、それを、無効な転勤命令によつて、本案判決のあるまでの相当長い期間奪われることによる損害は単なる物質的あるいは精神的損害として片つけることのできない人権侵害であり、金銭をもつて償える性質のものではないというべきであつて、その損害は、後に回復しがたい。他面、被控訴人を神戸支店の従業員として扱うことにより控訴人の被るべき損害が存することは、ほとんど疎明されていない。両者を比較すれば、本件仮処分の必要性は十分にあると考えるのが相当である。
六よつて、被控訴人の本件仮処分申請は理由があり、これを認容した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がない。よつて、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(岡野幸之助 入江教夫 高橋欣一)